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世の中に貢献できる枠組みを広げて、いろんなシーンへとチャレンジしていきます

創業から一世紀を迎える足跡を振り返って、いかがですか。

寺西和男社長:描画材にマーカー、どちらも世の中に彩りを提供することで、文化的で生活が楽しくなるように少しでも貢献できたら、という想いでここまで来ました。販売代理店や小売店の皆様の協力を得て、ユーザー様にも認めていただく。その積み重ねの100年だったと思います。 戦前は中国大陸や朝鮮半島など海外へ進出し、インキを輸出していました。ただ、戦災で本社も工場もすべて焼失してしまい、それ以前の詳しい資料が全く残っていないのは残念な限りです。

創業者(初代社長・寺西長一)の人物像を 教えてください。

寺西:私の祖父になりますが、厳しい反面、とても優しくて、年老いた母親を大事にしていたのを覚えています。交友関係が広く、多くの人と交流があったようです。会社でも従業員から慕われていました。

晩年になっても、研究室へ頻繁に出入りしていました。後発メーカーでしたから創業時は販売するにも競争が激しく、随分と苦労があったようです。そうした経験が「競争しなくても有利に営業できる。他社より良い製品、世の中にない製品を作りたい」という、技術に対する強い思い入れにつながり、研究・開発に力を入れるようになったのだと思います。 

社是「以和為貴」は今日も守り続ける、 揺るぎない指針ですね。

寺西:創業者の座右の銘でした。社員同士はもちろん、販売・仕入の取引先、関わるすべての人と仲良くしなさい、ということです。同業者のライバルとも、いい意味で競争をしながら、同じ仕事をする仲間として切磋琢磨しながら共存共栄でいこう、という想いだと思います。実際に、業界団体の役職も務めていましたし、マーキングペンという新たな事業を切り拓いた、という自負もあったのでしょう。

日本初のマーキングペン 『マジックインキ』の開発が、最大の転機でしたね。

寺西:まさに、「ありきたりではない、他にない」商品です。内田洋行・内田憲民社長がアメリカ視察から「次代の柱となる文具」として持ち帰ったスピードライ社の油性マーカーの現物見本が大きなヒントになりました。内田社長の素晴らしい目利きが、具体的な開発研究に大きな影響を与えたわけですが、創業者も実はそれ以前から「何にでも書けるペンがアメリカにある」ということを知っていました。本社近くの教会にあったアメリカの雑誌などを見て、いち早く情報を得ていたようです。だからこそ、現物を入手してから、1年半の短期間で製品化にこぎつけることができたのです。

「他にないもの」を手に入れて、その後はまさに順風満帆の時代が 続きました。

寺西:寺西化学工業と言えば『マジックインキ』。そう呼ばれるほど強い商品でした。大げさではなく、昭和30年代から50年代にかけては、積極的な営業活動をしなくても売れるような時代でした。海外にも、開発当初から輸出を始めて、80ヶ国以上に商品を供給していました。

もちろんメーカーである以上、いまある商品に満足することなく、常にユーザー様に喜ばれるものを市場にいち早く出すことを目指してきました。他に先がけることが、世の中やユーザー様に喜ばれる魅力的な商品になるわけですし、営業的に有利に展開できるわけですから。それは時代が変わっても、変わることはありません。

順風のなか、工場火災で苦難に 直面したこともありました。

寺西:『マジックインキ』の専用工場である守口工場が、火災にあったことです。ただ、すぐに工場を再建し、欠品を出すこともなかったと聞いています。今にして思えば、消防署も、すぐには操業許可を出してくれなかったでしょうから、どうやって欠品もなくやり遂げたのか驚きです。欠品は代理店にも小売店にも、そして商品を待ち望むユーザー様にも、迷惑をかけることになります。「それだけは、何としても避けたい」という強い想いがあったのだと思います。

『マジックインキ』の商品群は、 「細く、太く、多色に」と進化を遂げてきました。

寺西:正直に言えば、『マジックインキ』の商品力がピークだった1970年代に、さらに大きな挑戦する心を持って、新商品の開発や市場への投入を積極的にしておれば、という反省もあります。市場の評価がわからない新商品が返品・在庫の山となっては、と安全志向を生んだのかも知れません。それほど強い商品力があったのです。ただ、失敗を恐れてばかりではなかったのも事実です。1970年頃製造していた『ラッションペン・ゴールド』は今でこそ当たり前になったサインペンタイプですが、外観は万年筆で、インキがなくなればカートリッジを交換するものです。リユースでき、豊かな時代でも「ものを大切に使う」ことを大事にしてきた、寺西化学工業らしい発想でした。残念ながら、時代の潮流からは少し早すぎて、ヒットこそしませんでしたが、「マーカーは使い捨て」という業界の常識に一石を投じるものでした。さらに言えば、マーカーは実用品、万年筆は高級品、という概念を打ち破るものでした。

時代の移ろいとともに、 流通形態も変わってきました。

寺西:1980年代以後の流通革命で、がらりと一変しました。それまではメーカー別に、問屋や小売店の系列があって、言ってみれば「一つの山」になっていました。その山のなかで、各メーカーがそれぞれの商品を販売して共存し、他メーカーの後追い商品でもそれなりに売れました。それが1980年代のスーパーマーケットや量販店、90年代のカタログ通販、2000年代からはインターネット通販の台頭で、一気に「山」は消滅しました。それは表現を変えるなら、本当の意味で「他にないもの」の魅力ある商品しか売れない時代が到来した、ということです。特にいま、デジタル化で「字や絵を書く」機会が減り、むしろ「胸につけたい」「持ち歩きたい」というデザイン重視の時代になりました。若い女性にその傾向が顕著です。当社も開発・研究に若手や女性を積極的に増やし、そうした「時代の求めるもの」にふさわしい商品開発に転換しています。

一般消費者向け商品だけでなく、 産業用マーカーの開拓にも注力しています。

寺西:液晶メーカーや自動車メーカーのライン現場工程で使う検査用の専用マーカーもその一つです。キャップを外しても乾燥しにくく、マーキングした後はすぐに乾く。そうした矛盾するような要望にも、しっかりと応えて成果を出すことで、「その会社に、この工程に、なくてはならないもの」を、生み出していきたいと考えています。「できません」と言うのは簡単ですが、それを「どうすればできるか」と考えるのは、創業以来当社が大切にしてきたものづくりの原点に返ることでもあります。その時々に必要な改良も加えながら、昨日より今日、今日より明日、より良いものを創り出す。お客様の声を聞くだけでなく、時には現場へも足を運んで、マーカーが使われる環境をしっかりと自分の目で確かめて、解決策を導き出していく。そうした現場主義も、先輩の背中から学んで受け継いできた、当社らしさです。

寺西化学工業らしさを 継承していく今後の展望は。

寺西:文具という事業領域の中で、従来の一般的な筆記具だけでなく、機能を特化したマーカーや日用雑貨など、新しい分野にも挑戦したいと考えています。既存の一般マーカーでは、使い勝手が悪くてお困りのユーザー様がおられます。例えばペイントマーカーでも、過酷な使い方をされる場合は、従来のペン先では役に立ちません。また、工場の生産ラインで機械に装着するには、ペン先の長さが短い、筆跡の乾燥が遅い、筆跡が弱い、ペン先がすぐに乾いて書けない、……など、ユーザー様より様々なお困りごとの相談があります。そうした要望に対応できるマーカーを提供してきましたが、さらに個々のユーザー様用に特化したマーカーを、積極的に展開していきたいと考えています。また、日用雑貨をはじめ、筆記具にこだわらない分野にも踏み込んでいこうとしています。一昨年、細身タイプの『ラッションプチ』を商品化しましたが、「書く」という機能だけではなく、デザインがかわいいと女子高生に人気です。実用性一点張りだった当社の製品群に、新しい方向性を切り拓く起点になったと認識しています。

全社の組織体制も、確かな技術力に加えて企画力、営業力を高め、磨きをかけることで、バランスのとれた組織を目指しています。営業がユーザー様の多様な声を拾い上げて、研究開発とテーマを共有し、眼に見えるカタチに反映させていく。そうした総合的なものづくり体制を、推進していきます。筆記具や文具を通じて世の中に貢献することは、これまでの延長線上です。さらに将来はその枠組みをもっと広げて、いろんなシーンへと、当社にできることは積極的にチャレンジしていきたいですね。これまで以上に、社員にも世の中にも開かれた、風通しの良い社風を育み、絶えず時代や世の中と密接に、しかも広いつながりを持つ会社になっていきますよ。かつて『マジックインキ』を製品化させたように、これからも新規かつ有用な製品を市場に提供し続けることに、当社の存在価値があるわけですから。

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