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マジックインキ誕生物語

マジックインキ誕生まで

日本で最初のマーキングペン「マジックインキ」は、 今を遡ること半世紀以上も前の1953(昭和28年)年4月に発売されました。 現在もマジックインキ「大型」としてほぼ同じ形状で販売されており、 超ロングセラー商品としてテレビ・雑誌などのメディアで話題になることが多くなりました。

「マジックインキ」は、それまでの筆記具の常識を打ち破り、紙はもちろん、ガラス・プラスチック・布・皮・木材・金属・陶器など、 どんなものにもよく書け、インキの補充なしに連続筆記が出来、すぐに乾き、雨でも・手でこすっても取れないという、 当時としてはまさに「魔法の筆記具」だったのです。 発売当時の筆記具の主流はつけペン・万年筆・筆墨・鉛筆で、金属・ガラスや出回り始めたプラスチックに書け、 さらにこすっても取れないというものはありませんでした。

当社(寺西化学工業株式会社)が「マジックインキ」の開発を始めたのは、
1951年(昭和26年)にまでさかのぼりますが、
その開発には色々な苦闘の物語がありました。
ここではその一部をご紹介致します。

まず開発のきっかけは、初代の当社社長・寺西長一(てらにしちょういち)と当時の株式会社内田洋行社長・内田憲民(うちだけんみん)氏との出会いからでした。

内田 憲民 氏

寺西 長一 初代社長

戦後の混乱がまだ冷めやらぬ1951年、 アメリカの進んだ産業界を視察し、戦後復興に役立てようという目的で「アメリカ産業視察団」の一行がアメリカに向け飛び立ちました。 その視察団の中に当時内田洋行の社長であった内田憲民氏がおられました。 約3ヶ月にわたる視察の間に内田社長が買い求められた色々な商品の中に「スピードライ社」が発売しているフェルトペン先を使った新しいタイプの筆記具がありました。

帰国後に開かれた見本市会場でこれを見つけた寺西長一は、さっそく内田氏にこの新しいペンの研究開発をしたい旨申し出ました。 内田氏の話では、アメリカで新発売されヒットしている新しい筆記具という話でした。

ところが、内田社長が持ち帰った「スピードライ社」の筆記具は、容器もキャップもバラバラに壊れてしまっており、 さらにペン先も中綿もカラカラに乾いてしまっている状態で、筆記はもとより、どういう仕組みの筆記具なのかさえ分からない状態になってしまっていました。 しかし残骸物と速乾・耐水性というお話から、容器中の中綿に含まれた油溶性インキが毛細管現象によりペン先から出るという構造のマーカーであろうと寺西長一社長は考えました。

当時当社はパス、クレヨン、スタンプ台、筆記用インキを製造販売していましたが、 寺西長一は時代に先駆けた新しい製品に取り組みたいとの意欲を燃やしており、この新しい筆記具の日本での製造を思い立ちました。 いざ開発開始となりましたが、第2次世界大戦の終戦からまだ5・6年しかたっておらず、 極度の物資不足のためほとんどの材料の入手が困難という時代でした。 寺西長一はそれでも持ち前の旺盛な探求心から開発への思いをとどめることができず、「これは必ず次代の主力筆記具に成長する」と確信し、 早速インキ成分とマーカーの構造の研究を始めると共に早くも製造工場の建設にも取りかかりました。

発売当時のマジックインキ

染料

先ず、インキの主成分である油性溶剤に溶ける染料の研究から始まりました。ところが当時、染料といえば水溶性染料がほとんどで、油性溶剤に溶けるものが市場では見当たりません。

「どうすれば溶剤に溶ける染料ができるのか」

早くも苦悩の日々が始まりました。自社で油溶性の染料を開発することとなり、数々の試行錯誤と必死に考え抜いた末、水溶性染料と樹脂を反応させることで溶剤に溶ける油溶性染料を何とか作ることができました。 しかしこの染料も反応のカスが多く出て、生産開始時に歩留まりが50%程度しかなく、生産性の低さには悩まされ続けました。 発売当時の工場では、水溶性染料と樹脂を反応させてできた染料をプレスで水切りをした後、従業員が「せいろ」と呼んでいた木製の四角い箱に適当な大きさに割って入れ、工場敷地内いっぱいに広げて干し魚のように天日(てんぴ)乾燥していました。

樹脂

マジックインキにとって染料と共に大切なものは樹脂です。当時は現在のような合成樹脂が豊富にある時代ではありません。色んな樹脂の中から溶剤によく溶け、接着力の強い樹脂を選びました。

ペン先

筆記するときに重要なのはペン先です。 ペン先にするフェルトは、帽子屋さんに頼み山高帽のフェルトを使うことにしました。フェルトペン先は羊毛を絡ませたものを高温蒸気中で加熱圧縮して高密度に仕上げましたが、 そのままでは柔らかすぎてペン先としては好ましくないので、筆記に対して適度な硬さを持たせるよう樹脂加工を施しました。 ペン先は容器中の吸収体からインキをスムーズに誘導でき、同時に強い筆記にも耐えることができる腰の強さと、さらには適度にソフトな筆記感触も求められることから、ペン先の開発には非常に神経を使いました。

インキ吸収体

中綿とも呼びます。スタンプ台で使用していた羊毛フェルトを使用することにしました。

容器・キャップ

更に溶剤に耐える容器・キャップの問題もありました。そのころのプラスチックといえば非常に限られており、ポリプロピレン・ナイロンはまだ発売されておらず、塩ビ・ポリエチレンが出始めた頃でした。 当時としてはインキの溶剤に耐え、溶剤の蒸発を防ぐにはガラス瓶とユリア樹脂が最適でした。

ピスコ

まだまだ部品は必要でした。特に速乾性インキのため当時はビスコと呼んでいた再生セルローズをガラス瓶とネジキャップ(ホルダー)部に被せて溶剤の蒸発防止しました。

どんな素材でもすぐに入手できる現在の状況とは違い、
染料の開発から始めたという当時の開発者の苦労は
大変なものでした。

大苦戦

こうして一つひとつ課題をクリアすることで、ようやく油性マーキングペンの完成にたどり着き、 マジックインキとして内田洋行と共に発売したのが1953年(昭和28年)4月のことでした。 このように共同で開発・販売したことから「マジックインキ」の商標登録は内田洋行になっています。

『どんなものにもよく書ける』という、これまでにない新しい筆記具ということから、 この日本で最初のマーキングペンの名称を「魔法のインキ」という意を込めて、『マジックインキ』と命名し、 「筆記具業界に革命を起こす」という意気込みで、いよいよ新発売することになりました。

ところが、発売当初はなかなか世間には受け入れてもらえず、まったくといっていいほど売れませんでした。

そこで、百貨店や有名小売店での実演販売など、四方八方手を尽くして普及に努めたものの、1日に売れてもせいぜい2・3本という有様。余りにも悲惨な売れ行きに、宣伝販売員も嫌がってしまい、「マジックインキの宣伝販売はもうやりたくない」と及び腰になる始末でした。

それに加え、まだ速乾性筆記具になじみのない日本では、使用後にキャップを閉める習慣がなく、「ペン先が乾いてかすれた」という苦情が殺到し、苦戦を続けました。

そうした受難続きだったマジックインキにも発売から4年を経た1957年(昭和32年)になりようやく転機が訪れます。 発売当初の80円から2度の値下げの後、街頭での選挙速報や、ようやく一般家庭にも普及し始めたテレビのニュース解説など、様々な場面でマジックインキが少しずつ活躍を始めます。

そして当時売れっ子の漫画家だった長崎抜天(ながさき・ばってん)さんが、東京・日比谷公会堂での講演会で、舞台の端から端までの長大な紙にインキの補充もせずに一気に漫画を書き上げ(下写真)、驚く聴衆に向かって、「魔法のタネはこれだ!」といって、マジックインキを見せたパフォーマンスは新聞でも取り上げられ、これによってマジックインキは世間の注目を集めることになりました。

また「裸の大将」としてテレビドラマにもなった天才画家・故山下清画伯が、マジックインキを使った点描画を発表しこれもまた大きな話題となりました。

次第にマジックインキの持つ「どんなものにもよく書け、速乾・耐水性である」という特長が世の中に知られてきて、1960年代には学校での美術教材、家庭・事業所の封書や小包や梱包の宛名書きには必要不可欠なものとなっていきました。

さらには、工場や事業所の梱包材料が木箱からダンボールに急激にとって代わる梱包革命の時代が訪れました。 このダンボールに対して、キャップを取ればすぐに字が書き出せるという便利さと、書いた瞬間すぐに乾きこすっても汚れず、 すぐに積み重ねができるので作業がスピーディになることや、雨に濡れても字が散ったり流れないなど、マジックインキの持つ多くの特長が時代のニーズにマッチし、高度経済成長と共に急激に需要が増えてきます。

マジックインキには、発売当初から環境に配慮した商品設計がされていました。通常マーキングペンは、使い終わればそのままゴミとして廃棄されるケースが多いのですが、マジックインキは、限りある地球資源を大切にするため、使い捨てではなく繰り返し使えるよう、発売当時から『インキ補充式』の設計がされていました。

さらに、替ペン先も別売していますので、ユーザーにリユース(再使用)を促し、廃棄物の発生抑制・減量という環境に配慮された製品であるとともに、こうした商品設計は経済性にも優れています。また、廃棄物として出すときには、分別廃棄も容易な構造になっています。

魔法の筆記具としてマジックインキが発売されてから半世紀余り。 マジックインキは今日では、一般事務用はもちろんのこと、水を使う水産業者・青果業者、家具・カメラ部品などの塗装補修用、製靴業者の皮革の染め用、 病院・研究所のサンプル容器のネーム付け、精密機械部品の防錆・防蝕用、プリント基板へのマーク、さらには規制の厳しい原子力用配管のマーキング用にも利用されています。 マジックインキの用途は多種多様にわたっており、私達が考えてもいなかった用途・目的に使われていてびっくりすることも度々です。

あるテレビ局で放送された「マジックインキ不思議物語」中で、札幌雪祭りの雪像作りに自衛隊の隊員の方がマジックインキを使って氷の上に線を引いているのにはびっくりしました。

一つの文化を作った

マジックインキは、筆記具の世界に一つの文化を作りました。それは「使い終わったらキャップを閉める」という習慣です。マジックインキが発売されるまでには、日本には万年筆や毛筆といった水性筆記具しかなかったため、使い終わったらキャップを閉めるという習慣はありませんでした。そのため、マジックインキの発売当初はキャップを閉め忘れ、「すぐにかすれて書けなくなる」という苦情が多かったものです。

しかし、その後テレビのクイズ番組などで出演者が使用後すぐキャップを閉めることが一般に人にも理解を深めることになり、今ではマーキングペンは使い終わったらキャップを閉めることが習慣となりました。

元祖マーキングペン

「マジックインキ」は、今では油性マーキングペンを代表する言葉にもなっています。マジックインキの発売をきっかけに、今ではマジックインキから発展したいろいろなタイプのマーキングペンが開発されています。

油性マーキングペンでも色素に顔料を使用することで不透明にしたペイントマーカー(当社製品:オパックカラー、ホワイト・white SR)、水を主成分とした水性マーキングペン(当社製品:ラッションペン、アクアテック)、 ホワイトボードマーカー(マジックチョーク)、蛍光ラインペン、筆ペンなど様々なタイプのマーキングペンが発売されています。これらすべてのマーキングペンは、そのルーツをたどると「マジックインキ」にたどりつきます。マーキングペンは、今では筆記具の一分野として大きな市場を得ています。

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